2012年8月11日土曜日

なぜ、今、ヤギ?

最近、全国各地で密かなブームになりつつあるヤギ。
可愛くて、どこか、でも、なんだか懐かしくって、東京でも、地方都市でも、田舎でも、とにかく、ヤギを見つけると皆ときめいてしまいます。
思わず、ふり返って近づいてしまいます。見てるだけで、なんだか癒されてしまいます。
シブヤギの写真集が売れるのも、すごく分かります。

しかも、可愛い上に、ヤギにはたくさんの可能性を秘めています。

ヤギ乳やその乳製品は勿論のこと、お肉や毛皮も高級で質がよいし、その他、除草もしてくれ、結果、景観の保全や獣害対策にもつながりますし、その可能性はとても現実的で魅力的です。

その上、飼育が他の家畜に比べ、とても扱いやすく、女子1人でも飼うことができます。

でも、実際にヤギを飼う人はとても少なく、ましては、ヤギをビジネスに活用しているところはもっと少ないのが現状です。

とても、ステキな(話)なんだけど、私とは、別の世界(の話)。
大半はそう思って、ハイジの絵本と一緒にヤギとの生活もココロの本棚にしまってしまいます。
そうして、これが私の現実と、スーツを着て、会社へ出勤していくのです。

では、地域で除草作業に困っている人々だったらヤギを飼っているのでしょうか?

ヤギを愛する全国ヤギネットワークの事務局にお聞きしたところ、現実的にヤギを除草作業に使っている農家さんは実はとても少ないとか。
初めはコスト削減になるのではと思って飼ってみた農家さんも、「冬の間の飼料代がバカにならない」とか、「手間隙がかかる分、機械を使って除草する方が結果的にラク」と言ってやめてしまうのだそうです。

酪農は、というと、国が定める殺菌山羊乳の成分基準が厳しすぎたり、ヤギ肉の屠殺場所が少なかったり、そもそも牛に比べて市場も整っていないためビジネス参入が難しいようです。

でも、私は、それでも、今、ヤギなんだと思います。

戦後の急激な石油文化の登場と欧米文化の浸透で、何もかもが「機械化」「単純化」「効率化」し、私たちの生活は飛躍的に「便利」で「ラク」になりました。
そうして、便利でラクな生活になったはずなのに、私たちはますます忙しくなり、時間がなくなっていきました。
便利でラクな生活になったはずなのに、いつも体調がイマイチだったり、将来が不安でたまらなかったり、お金や自分のことばかり考えて夢をもてなくなっていきました。

  • ヤギとの生活は、確かにステキそうだけど、糞するし、臭いし、病気するし、お金かかるし、それより今の「便利でラクな生活」を続けたい
  • ヤギの除草は、確かに「ラク」そうだけど、効率的じゃないし、時間はかかるし、ムラはでるし、それより「便利でラクな」除草機を使った方がいい
  • ヤギ乳や肉は健康そうだけど、国も積極的でないし、肉は流通しにくいし、なによりも儲かりそうにない などなど。

そこには、ヤギとの生活で得られる「ココロとカラダの癒しや豊かさ」、「ヤギが農地を除草することで得られる生態系の改善」、「健康の改善」よりも、「動物」と「機械」を同一にし、どっちが「便利でラク」か、「儲かるか」を比べて判断しているように思えます。

ヤギを単なるアニマルマシーンとして、すなわち「癒しマシーン」や「除草マシーン」、あるいは「乳・肉生産マシーン」としてみるのではなく、ヤギと関わる環境 (土、草、気象) 全体に配慮し、ヤギを囲む人々の営みに寄り添っていくことで初めて、土、草、家畜、そして人々がつながり、そのときに、さまざまな問題が解決したり、ヤギを含めた全体の生産力が向上していくのでないかと思います。

また、生き物は機械ではないから管理が難しいし、時には私たちをとてもイライラさせます。

けれども、その難しさやイライラを克服したとき、私たちは自然の営みの美しさ、愉しさ、そして豊かさを享受するのではないでしょうか?

ヤギではなく、牛ですが、ガンジーも以下のように提唱していたようです。

牛はわたしにとって、大自然の万物を代表しているように見える。牛は、人間に、もの言わぬ大自然の心を理解するよう語りかけている。

人間は牛を通して、自分が全ての生き物と同じ生命であることを悟るよううながされているのである。
(「あるヨギの自叙伝」(著:パラマハンサ・ヨガナンダ)から引用 )

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