2012年8月31日金曜日

いよいよです!

次の日曜に予定されている「やぎ講習会」。

お陰さまで定員を超える方々からご連絡をいただきました。
本当にありがたいことです。

 今、開催場所である展望台を掃除しています。
普段は使われていない施設ですので、窓をふいただけでも雑巾が真っ黒になるほど…。

でも、来ていただいた方に、「気持ちよかった」と少しでも思っていただけるように、引き続き掃除に励みます!


時々空を眺めて休憩

展望台横の草地にいる馬も応援してくれています☆


展望台も、こうしてみると、講習会場っぽい?

2012年8月29日水曜日

ある春の日のお昼ご飯

我が家にある小さな庭で育った野菜やハーブたちを使ってシンプルな料理をすると、美味しさが格段に違うことを知りました。しかも、お金がかからない。

美味しさは、決してお金だけに比例するものではなく、寧ろ、手間ひまと時間に比例するものだと実感しました。勿論、お金も必要なんですけど、値段よりも寧ろ「何を買うか」、新鮮かつ高品質なものを、知恵と情報のアンテナをフル回転させて探し求めて初めて手に入るもののような気がします。

こちらは5月19日のお昼ご飯です。
これまで夫や私が作っていった料理たちを少しずつアップしていこうと思います。






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2012年8月26日日曜日

ドクダミの花でつくる「かゆみ止め」


8月も後半に差しかかりましたが、まだまだ暑い毎日。肌をだして涼みたいのに、「ブーン」と蚊の羽音が耳元にうるさくまとわりつきます。
そして、ふと気づくと、もう数カ所刺されていたり。

あの痒みに、つい、ポリポリとかいたり、市販で買ったかゆみ止めを塗ったりしますが、これ、身近な植物、ドクダミの花から簡単につくれます。
しかも。実際に塗ってみて感動したのですが、効き目も速いし、肌にも優しいし、刺され後も自然に治ります。
かなりオススメなので、来年の春、ドクダミの花を見つけたら試しに作ってみたらどうでしょう?

ドクダミの花

  1. 作る時期:ドクダミの花が咲く頃 (5月中旬-下旬頃) 
  2. 作り方:ドクダミの花を摘んで瓶につめる→35度くらいの焼酎か、エタノールを注ぐ→液が茶色に変わったらできあがりです
  3.  保存場所:できれば冷暗所 (冷蔵庫など) に保存するといいようです。



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呼吸の間隙に身を宿す

昔から、ジャンルを問わず、「呼吸の重要性」が強調されてきました。
  •  空気の出し入れによる、体内エネルギーの強化
  • 出し入れするリズムによる、体液循環の活性化
など、呼吸が生命維持の、いわばポンプ的な役割を果たしていることに加え、呼吸そのものが、宇宙の振動に共鳴していることを実感できる唯一の機能だからではないかとワイル博士は説明しています。

地球上のすべてのものは振動しています。この振動で、種は発芽し、卵からはヒナがかえり、そうして、私たちは生まれてきました。
この地球の振動と呼吸でもって共鳴し、そのゆらぎに身をまかせてみる。
私たちのカラダをつくっている物質ひとつひとつがプチプチと音をたてながら本来の振動を取り戻していく。
私のカラダが世界と境なくつながりあっていることを思い出す。
これが呼吸の最も重要な役割であり、その人がその人となる所以なのかもしれません。

人は呼吸したとおりの人になる

呼吸と呼吸の間に訪れる一瞬の静寂と、夜の海に響く波と波の間の一瞬の静けさが同じであることに気づく。
そうして、その一瞬の間隙に永遠の光を感じる。

テーラワーダ仏教協会で、初期仏教の伝道と瞑想指導に従事しているアルボムッレ・スマナラーナ氏は、人生の幸せについてこう説いています。
幸せの本当の意味は、心の安らぎです。心の安らぎとは何かをいえば、心に悩み苦しみがなく、嫉妬、怒り、憎しみなどで心が病んでいない状態です。

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2012年8月25日土曜日

人は呼吸したとおりの人になる-カラダへの影響2

前回に引き続き、今回も呼吸に焦点をあてていきます。

カラダに取り入れた有機物の燃焼に必要な酸素の取り入れと、燃焼後に生じた二酸化炭素の排出としての呼吸の重要性は、すんなりと受け入れることができます。
つまり、酸素と二酸化炭素を十分に交換できないような浅い呼吸をしている人は、健康状態も悪く、エネルギーも低下している人が多いというくだりです。

が、この呼吸、単なる空気の入れ替え以外に、もしかするともっと大切な役割があるようです。それは、
  • 生命体としてのカラダがもつ「循環」や「リズム」を促す
というもの。

今度は、フルフォード氏が行ってきた治療に感激したワイル博士の本に耳を澄ませてみます。 (「ワイル博士のナチュラルメディスン」から抜粋)

消炎剤と抗生物質の大量投与をしても尚、中耳炎の再発を繰り返すこどもたちを「薬の投与もなく、しかも一回の治療」で次々に直していくフルフォード博士。なぜ治るのかと質問したことに対して、フルフォード氏は以下のように答えたそうです。
再発性中耳炎の隠れた原因は、浅い呼吸によって起る中耳の体液貯溜にある。呼吸運動が機械的なポンプ作用をしてリンパ液の循環を促しているので、呼吸運動が制限されると耳の中が体液で湿気を帯び、細菌にとって格好の繁殖場になるのだ。(中略) 最近は薬で全滅させることもできるさ。だが、浅い呼吸という隠れた原因を放置しておいたら、細菌はきっと戻ってくる
このコトバを聞きながら、私は、カラダだけでなく、生命の母でもある「大地」にも言えることかもしれないと思いました。
たとえば農場に「害虫」が大量発生した場合。現代の農業技術では、農薬という「薬」でこれらを全滅させようとします。しかし、大量に発生した根本原因から目をそらせたままだと、害虫はきっと戻ってきます。しかも、農薬耐性という新たな力を備えて。そうして、大地に住むたくさんの有用微生物は農薬で死に絶え、大地も枯れ果てていくのです。

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2012年8月24日金曜日

人は呼吸したとおりの人になる-カラダへの影響

前回のブログで紹介したように、呼吸を自発的に行うことで
  1. 体内に十分な酸素が供給され
  2. それが、体内に取り込まれた食物を十分に燃焼し
  3. それらが十分なエネルギーとなり
  4. 燃焼後の二酸化炭素も十分に対外へ排出されることにつながります
つまり、自発的な呼吸をすることで、食物を効率的に燃焼させ、必要なエネルギーをつくりだし、その後の老廃物も適切に外に排出できるようになるらしいのです。

中学校の化学の実験を思い出しました。
密閉した瓶のなかにろうそくを入れ、酸素を十分に入れた瓶と、そうでない瓶とで、ろうそくに灯された火の様子をみる、あるいは、二酸化炭素で充満したろうそくの火だとどうなるのかをみていく、あの単純な実験です。

瓶は私たちのカラダ、ろうは栄養物、そうして、灯された火は、私たちの活動エネルギーとして考えてみると、それは単なる学習実験を超え、実験結果は私たちの将来のカラダを暗示しているかのようです。

カラダにいい食べものや飲み物だけでなく、深くて規則的な呼吸があってはじめて、カラダは生命の輝きを放っていくのではないでしょうか。

次回は、ココロへの影響について考えてみます。

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2012年8月23日木曜日

人は呼吸したとおりの人になる

たかが呼吸、されど、呼吸。
「息をする」という無意識の行為を自発的に行うことで
  • カラダの機能強化
  • ストレス耐性強化、すなわち、タイプAからタイプBへの変容
という、カラダとココロの機能強化に加え
  • 人生そのものが豊かになる 
という「おまけ」までつくようです。
人は呼吸した通りの人になる。
浅くて不規則な呼吸をしているときは、健康状態も悪く、エネルギーも低下している。(中略) 浅くて不規則な呼吸はまた、作業の効率の低下や、ときには、子どもの発達遅滞という結果をもたらす。

なぜでしょうか?
再び、アンドルー・ワイル氏とフルフォード氏、今回はインド独立の父、マハトマ・ガンディー氏にも登場してもらって、彼らの話に耳を傾けることにします。

まず、アンドルー・ワイル氏より (「癒す心、治る力」から抜粋)
 呼吸のしかたは神経系への反映であるとともに、その神経系に影響をあたえるものでもあるからだ。呼吸のリズムと深さを意識的にコントロールすることができれば、心拍数・血圧・血液循環・消化を調節する方法を学んだことになる。
なるほど。呼吸が浅いと、つまり、呼吸の制限があると、カラダに取り入れる酸素が制限されることになり、これがさまざまな機能を低下させることにつながります。心臓血管系などの器官系はもちろんのこと、脳神経系が正常に機能するためには適切な酸素と二酸化炭素の交換は必要不可欠。
神経系が適切な「指令」をだしてはじめて、カラダが正常に動くことができるので、呼吸によって自発的にコントロールすることで、カラダ全体を調整していくという考え方のようです。

ストレスがかかったときに、カラダが自動的に切り替える「戦闘モード」を、呼吸によって、自発的に「ニュートラル」にギアチェンジできるようになると言い換えても良さそうです。

次に、フルフォード氏のコトバです (「いのちの輝き」から抜粋)
 呼吸は、なによりも大切な生命力の流れを調整し、最大限にするための最善の機会を提供してくれているのだ。あなたにはよりよい呼吸をする機会があり、責任がある。
また、別のページでは、次のようなことも私たちに伝えています。
忘れないでほしいが、息をするときは、口ではなく鼻からすることが望ましい。というのは、空気が嗅神経の末端にふれて、それが脳を刺激し、脳に呼吸の自然なリズムを思い出させることに役立つからだ。
鼻から呼吸しないということは、ある意味で、半分しか生きていないということになる。
驚くことに、ガンディー氏も同じようなことを国民に伝えています (「ガンディー魂の言葉」浅井幹雄 著)
口呼吸は誤った習慣。呼吸は鼻でするものだ。神はわたしたちの鼻に、空気の濾過装置ともいうべきフィルターをつけてくださった。このフィルターを通してわたしたちは空気を濾過して体内に取り込む。口呼吸ではこれができないのだ。
東日本大震災が起ったあと、当時仙台に住んでいた私にも奇妙な現象がありました。あのとき、「普通の鼻呼吸」ができなくなったのです。私には花粉アレルギーもなく、体調も、疲れはあったものの良好でした。にも、かかわらず、呼吸を鼻でしようとすると、「目に見えない金属の欠片」が鼻腔を強く刺激し、鼻が、カラダに空気を取り入れることを拒否したようでした。初めての体験でした。そして、それは私だけの体験ではなく、当時、特に女性に多く発症したようでした。
あれは何だったのか、今ではもう分かりません。が、少なくとも、私は、「鼻」でもって、当時の仙台の空気が異常だったことを感知し、それが、九州への移住を決意させたことは事実です。

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2012年8月21日火曜日

私が思う「自発的で美しい生き方への8ヶ条」

今、「自発的で美しく」生きていくために私が実践しているもので、特に効果があるなと思うものを優先度の高い順から整理してみました。
  1. 自発的な考え方、生き方をしている人の本を読む
  2. 自発的な生き方をしている友人をみつけ、その人との時間をつくる
  3. エントロピーの法則、礼と返礼の法則、エコロジー的考え方を身につける
  4. “本物”だけを、できれば近所の小さなお店から買う
  5. 口にするもの、身の回りのものは できるだけ自分でつくる
  6. 自分と周りの環境を「健康的に美しく」作り上げていくことに多くの時間をかける
  7. お金を「感謝」と「応援」の気持ちで使う
  8. 「感謝」と「応援」の気持ちを受け取る仕事をする
エントロピー増大の法則とは、物体が活動したり、変化すると、必ずエントロピー(無秩序、乱雑さ、分かりやすくいえば、汚れの量)が増えるというもの。1945年、シュレディンガーという量子力学者が「生命とは何か」の増補版にて「生命は廃熱(廃物も)を放出することによって『余分なエントロピーを処分している』」とし、生命と外部との関係を明らかにしました。槌田敦氏の著書に詳しく説明されています。

 礼と返礼の法則とは、「あたえれば、あたえられる」 つまり、世界にたいする配慮がいきとどいている人は、世界からそれだけ多くの授かりものを受けるようになるというもの。「情けは人のためならず」と同義。
あたえることの少なかった人は、よくあたえた人よりも、年をとってから痛みやうずきに悩まされることが多いらしいです。これについては「いのちの輝き(原題: Dr. Fulford's Touch of Life)」がとても参考になります。

 生態学とは、生物とその周りの環境との作用、反作用をみる学問です。この学問から発展したエコロジー的考え方とは、全ての生命は互いに密接につながりあっていて、自身も含めあらゆる生命が平等に、ひとつの存在として、太陽の力に頼って生きているというもの。この考え方に即すると、自身を大切にし、健康に配慮し、行動することはすべて、あらゆる人、あらゆる生き物の健康に寄与することにつながります。

 この8ヶ条を「ココロをスローダウンさせながら」実践していくと、より効果があがっていくようです。前々回の投稿でも紹介した「慌てん坊」をココロから消す作業です。
これさえ身につけることができれば、知性も感性も健康も美しさも、そして、お金すらも自動的に備わるのではないかとさえ思います。

 1959年、祖国インドから渡米後40年という長きにわたり、人々へスローダウンすることの大切さ、意義深さを説き続けた エクナット・イーシュワラン氏(1911-1999)は、効率的で豊かな人生をいとなむための8つのステップを紹介しています。 (引用:「スローライフでいこう ゆったり暮らす8つの方法 (原題: Take Your Time)」エクナット・イーシュワラン著)
  1. スローダウン:早起き、朝食をゆったりとる、生活をシンプルにする、忍耐を養う、ゆっくりすることと怠惰とを混同しないようにする 等
  2. 一点集中:一時に複数のことをしない、過去のことや未来のことにとらわれないこと 等
  3. 感覚器官の制御:好き嫌いをなくす、苦手な人とも楽しくやれるようになる 等
  4. 人を優先させる
  5. 精神的な仲間をつくる
  6. 啓発的な本を読む
  7. マントラ
  8. 瞑想

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2012年8月20日月曜日

最高級の食材を買うことは「高い?」「安い?」

西日本新聞社で「食卓の向こう側」や「価格の向こう側」の取材班だった女性記者が、ある面白い調査をしたのでご紹介。

(参照元:季刊地域 No. 1)

いい食材、すなわち、国産・有機(あるいは無農薬)・無添加の食材は高い
家計を管理する主婦はまずこう思うのでは?
「いい食材を買うことは、家族の健康を守ることにも、いい食材を作ろうと奮闘する農家さんや職人さんを買い支えることにも、そうして日本の食の自給率を上げることにも、環境を良くすることにもつながるってことは、分かってる、分かってるんだけど、うちではムリムリ!!高い、高い!!

では、実際のところどれくらい「高くつく」のか?
この調査をしたのが、冒頭でお話しした渡邊美穂さん。
自然食品や生協などで「吟味した」食材・調味料を購入し、買ったものすべて一般のスーパーで同類品の最安値を調べ、これらを比較したそうです。

結果はというと。
  • 食材は1日1人当たり55円だけ吟味したものの方が高かった。つまり、野菜ジュースを1本買うより、新鮮かつ安全かつ安いという結果に!
  • 輸入品と国産品食材で、倍近く値段が違うものが多かったが、旬ものだと自然食品店の野菜の方がスーパーのそれよりも安かったものもあった。
  • 調味料は、最高級のもの(例:米みそ1kg1,300円!)を購入したとしても、1ヶ月以上使用するものが多いので、結果的には1日1人当たり23円のみの差だった。(ちなみに、購入した調味料は、醤油、だし醤油、粒マスタード、カレー粉、えごま油、料理酒、もろみ、米みそ、豆みそだったそうです)
 つまり、最高級の食材を買っても、家計を脅かすほど高くつくものではないということが判明。しかも、1日1人当たり78円の負担で健康と安全と何よりも美味しさが補償されるとなると、寧ろ、「安い」という考え方だってできます。
ただ、この結果には懸案事項もありました。それは、「台所の経験値が高い人のみ」通用する話だということ。つまり、
  •  ドレッシングを基本調味料から作れない人
  •  事前に削る、一晩おく、等の「ひと手間かける」ことを面倒くさいと感じる人
  • 食材の保存方法(冷凍・天日干し・みそ漬け等)を知らない人
  • そもそも料理することを苦痛に感じる人
は、残念ながら「最高級の食材」は、「超・高級品」となるので、頑張って金を稼ぐか、あるいは、諦めて農薬漬けと添加物だらけの輸入品や加工品を食べるしかないようです。

渡邊記者はこの記事を以下の文章で締めくくっています。
「つくらない人」が増えれば、まともな食材は「超高級品」になるだろう。こうみると、子ども時代から“台所経験値”を上げていくことが、まともな社会づくりに不可欠ではないかと思う。

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2012年8月18日土曜日

ストレスに強いカラダづくりへの実践法

前回のブログで「タイプA」だと自覚したあなたへ。
私も典型的なタイプAなので、自分へ向けて整理してみました。
参考になれば幸いです。

目的:性格うんぬんを変えることではなく、ストレスに強いカラダづくりをすること

タイプAを一言でいうと「慌てん坊」の「怒りん坊」なので、まずは、この2つを真っ正面から見つめ、次にそれらを自分のココロから消していくためにはどうすればいいか、を考えていきます。

【慌てん坊とは】(参考本:「Take Your Time」エクナット・イーシュワラン著)

効率化を常に考え、何でもサクサク物事を処理していき、同時進行でいくつもの案件をすすめていく人たちのこと。「Time is Money」を信条とし、与えられた24時間をいかに有効活用していくか、次やるべきことは何かを考えているのが特徴。スピーディかつ的確な動きができたときに喜びを感じる。

こうしてみると、慌てん坊って、実は、現代人が理想としている人物像だったりして。

ただ、この理想像を追い求めると「常に時間に追われる」ことになり、本当はすごく善良でいい人なのに、前を走る車がちょっと遅いと、ついイライラしてクラクションをならしてしまったり、出勤前の慌ただしい朝食のときに子供が味噌汁をこぼすと、つい怒鳴ったり、急いで営業先へ向かっている途中に具合悪そうな人を見かけても見て見ぬふりして通り過ぎたりと、つい無礼な行動をとってしまったりしてしまいます。

そうして、スピーディになればなるほど、その行動は高性能な機械のようになり、「もっと速く」は「もっと非人間的に」になっていくことになります。そうして、ある日ぽきりと折れて壊れてしまう…。
しかし、これは、その人が本来もっている性格からきているのではなく、「スピード化した生活」からきているので、この生活習慣をココロでもって落としていけばいいのかなと考えられます。

とはいっても。
現代社会に住んでいる私たちの人生は、もう、スピード化しているのだから、沢山のことを処理していかないといけないんだから、もう、しょうがない、少々病気になっても、生きるためには慌てん坊になるしかないんだ…と思われるかもしれません。

イーシュワラン氏は本の中で、こう断言しています。

 多くのことをやり遂げるには、決して生活を超多忙にする必要はありません。
急がなければならないというのは、迷信です。ゆっくりとした生活は、非能率的な生活ではありません。非創造的な生活でもありません。退屈な生活でもありません。まったく逆です。時間と戦っている生活よりも、もっと能率的で、創造的で、豊かなのです。

では、慌てん坊をココロから消しても能率的で、創造的で、豊かな生活を行うにはどうすればいいのか?

次回のブログで引き続きイーシュワラン氏から教えてもらおうと思います。

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2012年8月17日金曜日

ストレスによる病気にかかりやすい行動パターン-「タイプA」とは

あるストレス(ストレッサー)が生じたとき、たとえば、仕事で大損をした、理不尽なことでむちゃくちゃ怒られた、会社を首になった、あるいは、パー トナーと別れた、事故にあった、などなど、そういうとき、比較的簡単にそのストレスを対処できる性格の人と、そうじゃない性格の人がいるみたいです。

「先進国における狭心症や心筋梗塞などの冠動脈疾患になりやすい人は、ある種独特の行動パターンを共有している」

のは、今や常識と化しているのだそう。

フリードマンという心臓病学者が心臓病のかかりやすさと性格、行動の関係に関して検討をしていて、その行動パターンを「タイプA」と名付けているそうなんですが、その行動パターンとは…

一口に言うと、「慌てん坊の怒りん坊」(「時間的切迫」と「敵意」)。

具体的には

いつもいつもいつもいつも急いでて(歩くのも、喋るのも、食べるのも)

短気で(順番待ちとか車の渋滞とかに、いちいちキレて、怒り爆発)

いつも同時に別のことを考えていて(電話をかけながら、別のことを考えてたり)

緊張しっぱなしで(会社で休むことに罪の意識を感じたり)

落ち着きがなく(貧乏ゆすり、指で机をとんとんする、早い呼吸、ため息、舌打ち)

他人に無関心(自分だけに夢中)

相手がたとえ子供でも勝負の目的は「勝つこと」で

いつも手や指に力が入っていて

自分と似た人に会うと、意味なく挑戦的になり

自分や他人に対して、何事に置いても否定的

そして、昔の怒りを何度も何度も思い出しては怒りを爆発させ

悪口好き

そのくせ、他人からどう思われているのか気が気でなく

批判されることに逆ギレし

会話を仕切りたがり、他人の話題を自分の話題にすり替えて独占し

自分をこの世の警察官のように振る舞いがち

(「生活習慣病予防士、指定テキストより」自分なりに言葉を変えて掲載)

…。これって単なるやな奴なんじゃ…。
(でも、いくつか私にも当てはまる箇所があり、ブルーになりつつも、妙に納得する私もいて、書きながらとても複雑な気持ちになりました。)

でも、その背景には、私たちの「痛ましいくらいの自己防御」が隠されていると思います。

必死にココロを守ろうとする繊細な私たち。

それは、完璧を求め、理想を求め、自分しか、いえ、自分すらも頼ることができなくて、そして、そのエネルギーが心臓を直撃してしまう。

本来は美しすぎるほど繊細で透明なココロだったはずなのに、それを必死に守ろうとして、他人を傷つけ、そして、自分すらも深く傷ついていく。

皆さんはどう感じますか。

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2012年8月16日木曜日

ヤギ捨ての心理

先日、小さな牧場を営んでいらっしゃるおじさんが、こんな話をしてきました。

「こんな風に動物を飼っていると、『かわいいから子ヤギが欲しい』とか言ってくる人がいるんだよ。で、生まれたらあげるんだけど、ちょっとしたら戻ってくるんだ。
どうしてかって?
飽きちゃうんだってよ。飽きちゃって、うちに捨てにくる。」

あまりに臭くて…とか、餌代が思った以上に高くついて…、など、ヤギを飼うこと自体が負担になって捨てるのではなく、単に「飽きた」から捨てにくる…。

そもそも「飽きる」ってどういうココロの動きだろう。気になって調べてみました。

「同じことが重なり、この上それを続けるのがいやになる。もう、沢山だと思う。嫌気がさす」(広辞苑)

ちょっとこれをヤギ飼いに当てはめてみました。
  • これ以上、可愛がり続けるのがイヤになる、一緒に生活し続けるのがイヤになる…
  • カワイイからヤギを飼おうと思ったんだけど、そのカワイイと思う気持ちが重なり続けて消えていき、もう沢山だと思って、嫌気がさす…あるいは興味が薄まる
  • カワイイと思う対象が「ヤギ」から「別のもの」に変わったため、相対的にヤギへの愛情が薄まっていく 
いずれにしても、ヤギを生命あるものとは見ず、かわいい玩具、動くぬいぐるみとしてしか見ていないココロの動きのように思えます。

伴侶動物や家畜にとって、人間に飽きられるということは、飼育を放棄されることであり、それは、そのまま「死」を意味します。

フードインク」というドキュメンタリー映画の中での印象的なコトバが脳裏に浮かびました(記憶の中のコトバなので、若干言い回しとか違っています)。
「家畜を生命あるものと見ず、マシーンやモノ、商品としてしか見ない人間は、他の人間に対しても家畜と同じように接するだろう」
(ポリフェイス農場 J. サラティン氏より)
We provide a habitat that allows each plant and animals to fully express its physiological distinctiveness—i.e. the pigness of the pig. In our Graeco-Roman western linear reductionist compartmentalized fragmented individualistic systematized disconnected paradigm, plants and animals are just inanimate piles of protoplasmic structure to be manipulated however cleverly the human mind can conceive to manipulate them. I suggest that a society which disrespects and dishonors the pigness of the pig to that extent will also view its citizens with an equivalent egocentric manipulative mindset—and other cultures. It’s how we respect and honor the least of these that creates an ethical, moral foundation upon which we honor and respect the greatest of these.
(Polyface農場のWebsiteより引用)

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2012年8月11日土曜日

なぜ、今、ヤギ?

最近、全国各地で密かなブームになりつつあるヤギ。
可愛くて、どこか、でも、なんだか懐かしくって、東京でも、地方都市でも、田舎でも、とにかく、ヤギを見つけると皆ときめいてしまいます。
思わず、ふり返って近づいてしまいます。見てるだけで、なんだか癒されてしまいます。
シブヤギの写真集が売れるのも、すごく分かります。

しかも、可愛い上に、ヤギにはたくさんの可能性を秘めています。

ヤギ乳やその乳製品は勿論のこと、お肉や毛皮も高級で質がよいし、その他、除草もしてくれ、結果、景観の保全や獣害対策にもつながりますし、その可能性はとても現実的で魅力的です。

その上、飼育が他の家畜に比べ、とても扱いやすく、女子1人でも飼うことができます。

でも、実際にヤギを飼う人はとても少なく、ましては、ヤギをビジネスに活用しているところはもっと少ないのが現状です。

とても、ステキな(話)なんだけど、私とは、別の世界(の話)。
大半はそう思って、ハイジの絵本と一緒にヤギとの生活もココロの本棚にしまってしまいます。
そうして、これが私の現実と、スーツを着て、会社へ出勤していくのです。

では、地域で除草作業に困っている人々だったらヤギを飼っているのでしょうか?

ヤギを愛する全国ヤギネットワークの事務局にお聞きしたところ、現実的にヤギを除草作業に使っている農家さんは実はとても少ないとか。
初めはコスト削減になるのではと思って飼ってみた農家さんも、「冬の間の飼料代がバカにならない」とか、「手間隙がかかる分、機械を使って除草する方が結果的にラク」と言ってやめてしまうのだそうです。

酪農は、というと、国が定める殺菌山羊乳の成分基準が厳しすぎたり、ヤギ肉の屠殺場所が少なかったり、そもそも牛に比べて市場も整っていないためビジネス参入が難しいようです。

でも、私は、それでも、今、ヤギなんだと思います。

戦後の急激な石油文化の登場と欧米文化の浸透で、何もかもが「機械化」「単純化」「効率化」し、私たちの生活は飛躍的に「便利」で「ラク」になりました。
そうして、便利でラクな生活になったはずなのに、私たちはますます忙しくなり、時間がなくなっていきました。
便利でラクな生活になったはずなのに、いつも体調がイマイチだったり、将来が不安でたまらなかったり、お金や自分のことばかり考えて夢をもてなくなっていきました。

  • ヤギとの生活は、確かにステキそうだけど、糞するし、臭いし、病気するし、お金かかるし、それより今の「便利でラクな生活」を続けたい
  • ヤギの除草は、確かに「ラク」そうだけど、効率的じゃないし、時間はかかるし、ムラはでるし、それより「便利でラクな」除草機を使った方がいい
  • ヤギ乳や肉は健康そうだけど、国も積極的でないし、肉は流通しにくいし、なによりも儲かりそうにない などなど。

そこには、ヤギとの生活で得られる「ココロとカラダの癒しや豊かさ」、「ヤギが農地を除草することで得られる生態系の改善」、「健康の改善」よりも、「動物」と「機械」を同一にし、どっちが「便利でラク」か、「儲かるか」を比べて判断しているように思えます。

ヤギを単なるアニマルマシーンとして、すなわち「癒しマシーン」や「除草マシーン」、あるいは「乳・肉生産マシーン」としてみるのではなく、ヤギと関わる環境 (土、草、気象) 全体に配慮し、ヤギを囲む人々の営みに寄り添っていくことで初めて、土、草、家畜、そして人々がつながり、そのときに、さまざまな問題が解決したり、ヤギを含めた全体の生産力が向上していくのでないかと思います。

また、生き物は機械ではないから管理が難しいし、時には私たちをとてもイライラさせます。

けれども、その難しさやイライラを克服したとき、私たちは自然の営みの美しさ、愉しさ、そして豊かさを享受するのではないでしょうか?

ヤギではなく、牛ですが、ガンジーも以下のように提唱していたようです。

牛はわたしにとって、大自然の万物を代表しているように見える。牛は、人間に、もの言わぬ大自然の心を理解するよう語りかけている。

人間は牛を通して、自分が全ての生き物と同じ生命であることを悟るよううながされているのである。
(「あるヨギの自叙伝」(著:パラマハンサ・ヨガナンダ)から引用 )

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2012年8月4日土曜日

「やまい」と「幸せ」の関連性

『毎日つつがなく暮らすことができ、大変幸せです』

手紙にすら使ったことがないこの「つつがない」というコトバ。
語源を広辞苑で調べてみたところ、「やまいがない」「無事である」という意味で、古くは今昔物語にも使われているようです。

病がないことが幸せ。何事もなく、無事であることが幸せ。

昔の人は、生活のすぐ隣に潜む「やまい」に恐れ、病のない人生をココロから祈り、この「つつがない」というコトバを紡いでいったと思います。

なぜなら、昔の「やまい」はそのまま死に直結することが多かったから。

そして、今。

医療の発展は一見「やまい」を克服したように見えました。
近代医療は人々に幸せをもたらしたようにみえました。

病院に行きさえすれば、高度で先進的な医療さえ受けられれば、そうして、万が一のための医療保険をかけてさえいれば、幸せだと感じるようになりました。

しかし、この「幸せ感」をよくのぞいてみると、私たち現代人は、人生そのものに病気がある、ということを大前提としての「幸福」しかありえないというマインドセットから始まっています。

本当にそうでしょうか?

私たちのカラダには自然に病気を癒す「自発的治癒システム」が備わっているはずです。
そうでなければ、医療が発達する前に人類はとっくの昔に滅んでいるはずだからです。

「癒す心、治る力」の著書であり、アリゾナ大学医学校で教鞭をとっているアンドルー・ワイル医学博士は、彼の本の中で、こう断言しています。

 治癒は自発的である。それはDNAの内なる本然の力によって生じる、自然の傾向である。
(紫外線による誤結合でできる二重らせんのよじれのような)損傷の発生自体が、自動的に自己修復プロセスを活性化させる。
(「癒す心、治る力」から引用)

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