つい、先ほどまで
「大隅多元塾」
というものに参加してきました。
これは、鹿児島県大隅半島のほぼ中央に位置する「高山 (こうやま)」(肝付町)という小さな町で開かれる、大人のための学びの場です。
主催者は、きもつき情報局の編集長で、地方からステキな情報発信をしている方。
そして、
「実は、田舎こそ、世界の最先端。この事実に皆そろそろ気づこうよ」
という、まさしく固定観念をくつがえす考えの持ち主。
出席者は、最近読んだ、聞いた、見たもののなかで心に残ったことを「5分間」という時間制限のもとで自由に発表します。
その後、これまた自由に感想やコメント、あるいは、ふと思い出したことなどを伝えあうのですが、不思議と互いの発信する情報がリンクしあっていくのです。
そして、それがだんだんと、メッセージ性をおびてくるのですが、この流れがとても面白い塾です。
「Bliss Land」と「authentic ideas/life style/work」
これが、今回の私へのメッセージでした。
この続きは、また、後ほど。
夕飯ができたみたいです♪
2013年10月12日土曜日
2012年8月26日日曜日
呼吸の間隙に身を宿す
昔から、ジャンルを問わず、「呼吸の重要性」が強調されてきました。
地球上のすべてのものは振動しています。この振動で、種は発芽し、卵からはヒナがかえり、そうして、私たちは生まれてきました。
この地球の振動と呼吸でもって共鳴し、そのゆらぎに身をまかせてみる。
私たちのカラダをつくっている物質ひとつひとつがプチプチと音をたてながら本来の振動を取り戻していく。
私のカラダが世界と境なくつながりあっていることを思い出す。
これが呼吸の最も重要な役割であり、その人がその人となる所以なのかもしれません。
人は呼吸したとおりの人になる
呼吸と呼吸の間に訪れる一瞬の静寂と、夜の海に響く波と波の間の一瞬の静けさが同じであることに気づく。
そうして、その一瞬の間隙に永遠の光を感じる。
テーラワーダ仏教協会で、初期仏教の伝道と瞑想指導に従事しているアルボムッレ・スマナラーナ氏は、人生の幸せについてこう説いています。

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本当に豊かな生き方とは何だろうと疑問を持ち始めている方、地域で、豊かに自立した暮らしを目指している方、今の生活に「もやもやとしたいぶかしさ」を感じている方へ向けた小さな絵本です。
関心のある方は、ブログの右上にあるWebサイト「ルクニシンガ」に訪問いただき、お問合せフォームからご連絡ください。
連絡いただきました皆さんに、この小さな絵本を無料でお贈りします。
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- 空気の出し入れによる、体内エネルギーの強化
- 出し入れするリズムによる、体液循環の活性化
地球上のすべてのものは振動しています。この振動で、種は発芽し、卵からはヒナがかえり、そうして、私たちは生まれてきました。
この地球の振動と呼吸でもって共鳴し、そのゆらぎに身をまかせてみる。
私たちのカラダをつくっている物質ひとつひとつがプチプチと音をたてながら本来の振動を取り戻していく。
私のカラダが世界と境なくつながりあっていることを思い出す。
これが呼吸の最も重要な役割であり、その人がその人となる所以なのかもしれません。
人は呼吸したとおりの人になる
呼吸と呼吸の間に訪れる一瞬の静寂と、夜の海に響く波と波の間の一瞬の静けさが同じであることに気づく。
そうして、その一瞬の間隙に永遠の光を感じる。
テーラワーダ仏教協会で、初期仏教の伝道と瞑想指導に従事しているアルボムッレ・スマナラーナ氏は、人生の幸せについてこう説いています。
幸せの本当の意味は、心の安らぎです。心の安らぎとは何かをいえば、心に悩み苦しみがなく、嫉妬、怒り、憎しみなどで心が病んでいない状態です。
(「心がスーッとなるブッダの言葉」より抜粋)
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2012年8月25日土曜日
人は呼吸したとおりの人になる-カラダへの影響2
前回に引き続き、今回も呼吸に焦点をあてていきます。
カラダに取り入れた有機物の燃焼に必要な酸素の取り入れと、燃焼後に生じた二酸化炭素の排出としての呼吸の重要性は、すんなりと受け入れることができます。
つまり、酸素と二酸化炭素を十分に交換できないような浅い呼吸をしている人は、健康状態も悪く、エネルギーも低下している人が多いというくだりです。
が、この呼吸、単なる空気の入れ替え以外に、もしかするともっと大切な役割があるようです。それは、
今度は、フルフォード氏が行ってきた治療に感激したワイル博士の本に耳を澄ませてみます。 (「ワイル博士のナチュラルメディスン」から抜粋)
消炎剤と抗生物質の大量投与をしても尚、中耳炎の再発を繰り返すこどもたちを「薬の投与もなく、しかも一回の治療」で次々に直していくフルフォード博士。なぜ治るのかと質問したことに対して、フルフォード氏は以下のように答えたそうです。
たとえば農場に「害虫」が大量発生した場合。現代の農業技術では、農薬という「薬」でこれらを全滅させようとします。しかし、大量に発生した根本原因から目をそらせたままだと、害虫はきっと戻ってきます。しかも、農薬耐性という新たな力を備えて。そうして、大地に住むたくさんの有用微生物は農薬で死に絶え、大地も枯れ果てていくのです。

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カラダに取り入れた有機物の燃焼に必要な酸素の取り入れと、燃焼後に生じた二酸化炭素の排出としての呼吸の重要性は、すんなりと受け入れることができます。
つまり、酸素と二酸化炭素を十分に交換できないような浅い呼吸をしている人は、健康状態も悪く、エネルギーも低下している人が多いというくだりです。
が、この呼吸、単なる空気の入れ替え以外に、もしかするともっと大切な役割があるようです。それは、
- 生命体としてのカラダがもつ「循環」や「リズム」を促す
今度は、フルフォード氏が行ってきた治療に感激したワイル博士の本に耳を澄ませてみます。 (「ワイル博士のナチュラルメディスン」から抜粋)
消炎剤と抗生物質の大量投与をしても尚、中耳炎の再発を繰り返すこどもたちを「薬の投与もなく、しかも一回の治療」で次々に直していくフルフォード博士。なぜ治るのかと質問したことに対して、フルフォード氏は以下のように答えたそうです。
再発性中耳炎の隠れた原因は、浅い呼吸によって起る中耳の体液貯溜にある。呼吸運動が機械的なポンプ作用をしてリンパ液の循環を促しているので、呼吸運動が制限されると耳の中が体液で湿気を帯び、細菌にとって格好の繁殖場になるのだ。(中略) 最近は薬で全滅させることもできるさ。だが、浅い呼吸という隠れた原因を放置しておいたら、細菌はきっと戻ってくるこのコトバを聞きながら、私は、カラダだけでなく、生命の母でもある「大地」にも言えることかもしれないと思いました。
たとえば農場に「害虫」が大量発生した場合。現代の農業技術では、農薬という「薬」でこれらを全滅させようとします。しかし、大量に発生した根本原因から目をそらせたままだと、害虫はきっと戻ってきます。しかも、農薬耐性という新たな力を備えて。そうして、大地に住むたくさんの有用微生物は農薬で死に絶え、大地も枯れ果てていくのです。
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2012年8月24日金曜日
人は呼吸したとおりの人になる-カラダへの影響
前回のブログで紹介したように、呼吸を自発的に行うことで
中学校の化学の実験を思い出しました。
密閉した瓶のなかにろうそくを入れ、酸素を十分に入れた瓶と、そうでない瓶とで、ろうそくに灯された火の様子をみる、あるいは、二酸化炭素で充満したろうそくの火だとどうなるのかをみていく、あの単純な実験です。
瓶は私たちのカラダ、ろうは栄養物、そうして、灯された火は、私たちの活動エネルギーとして考えてみると、それは単なる学習実験を超え、実験結果は私たちの将来のカラダを暗示しているかのようです。
カラダにいい食べものや飲み物だけでなく、深くて規則的な呼吸があってはじめて、カラダは生命の輝きを放っていくのではないでしょうか。
次回は、ココロへの影響について考えてみます。

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- 体内に十分な酸素が供給され
- それが、体内に取り込まれた食物を十分に燃焼し
- それらが十分なエネルギーとなり
- 燃焼後の二酸化炭素も十分に対外へ排出されることにつながります
中学校の化学の実験を思い出しました。
密閉した瓶のなかにろうそくを入れ、酸素を十分に入れた瓶と、そうでない瓶とで、ろうそくに灯された火の様子をみる、あるいは、二酸化炭素で充満したろうそくの火だとどうなるのかをみていく、あの単純な実験です。
瓶は私たちのカラダ、ろうは栄養物、そうして、灯された火は、私たちの活動エネルギーとして考えてみると、それは単なる学習実験を超え、実験結果は私たちの将来のカラダを暗示しているかのようです。
カラダにいい食べものや飲み物だけでなく、深くて規則的な呼吸があってはじめて、カラダは生命の輝きを放っていくのではないでしょうか。
次回は、ココロへの影響について考えてみます。
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本当に豊かな生き方とは何だろうと疑問を持ち始めている方、地域で、豊かに自立した暮らしを目指している方、今の生活に「もやもやとしたいぶかしさ」を感じている方へ向けた小さな絵本です。
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2012年8月23日木曜日
人は呼吸したとおりの人になる
たかが呼吸、されど、呼吸。
「息をする」という無意識の行為を自発的に行うことで
なぜでしょうか?
再び、アンドルー・ワイル氏とフルフォード氏、今回はインド独立の父、マハトマ・ガンディー氏にも登場してもらって、彼らの話に耳を傾けることにします。
まず、アンドルー・ワイル氏より (「癒す心、治る力」から抜粋)
神経系が適切な「指令」をだしてはじめて、カラダが正常に動くことができるので、呼吸によって自発的にコントロールすることで、カラダ全体を調整していくという考え方のようです。
ストレスがかかったときに、カラダが自動的に切り替える「戦闘モード」を、呼吸によって、自発的に「ニュートラル」にギアチェンジできるようになると言い換えても良さそうです。
次に、フルフォード氏のコトバです (「いのちの輝き」から抜粋)
あれは何だったのか、今ではもう分かりません。が、少なくとも、私は、「鼻」でもって、当時の仙台の空気が異常だったことを感知し、それが、九州への移住を決意させたことは事実です。

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「息をする」という無意識の行為を自発的に行うことで
- カラダの機能強化
- ストレス耐性強化、すなわち、タイプAからタイプBへの変容
- 人生そのものが豊かになる
人は呼吸した通りの人になる。
浅くて不規則な呼吸をしているときは、健康状態も悪く、エネルギーも低下している。(中略) 浅くて不規則な呼吸はまた、作業の効率の低下や、ときには、子どもの発達遅滞という結果をもたらす。
(Dr. フルフォード「いのちの輝き」から抜粋)
なぜでしょうか?
再び、アンドルー・ワイル氏とフルフォード氏、今回はインド独立の父、マハトマ・ガンディー氏にも登場してもらって、彼らの話に耳を傾けることにします。
まず、アンドルー・ワイル氏より (「癒す心、治る力」から抜粋)
呼吸のしかたは神経系への反映であるとともに、その神経系に影響をあたえるものでもあるからだ。呼吸のリズムと深さを意識的にコントロールすることができれば、心拍数・血圧・血液循環・消化を調節する方法を学んだことになる。なるほど。呼吸が浅いと、つまり、呼吸の制限があると、カラダに取り入れる酸素が制限されることになり、これがさまざまな機能を低下させることにつながります。心臓血管系などの器官系はもちろんのこと、脳神経系が正常に機能するためには適切な酸素と二酸化炭素の交換は必要不可欠。
神経系が適切な「指令」をだしてはじめて、カラダが正常に動くことができるので、呼吸によって自発的にコントロールすることで、カラダ全体を調整していくという考え方のようです。
ストレスがかかったときに、カラダが自動的に切り替える「戦闘モード」を、呼吸によって、自発的に「ニュートラル」にギアチェンジできるようになると言い換えても良さそうです。
次に、フルフォード氏のコトバです (「いのちの輝き」から抜粋)
呼吸は、なによりも大切な生命力の流れを調整し、最大限にするための最善の機会を提供してくれているのだ。あなたにはよりよい呼吸をする機会があり、責任がある。また、別のページでは、次のようなことも私たちに伝えています。
忘れないでほしいが、息をするときは、口ではなく鼻からすることが望ましい。というのは、空気が嗅神経の末端にふれて、それが脳を刺激し、脳に呼吸の自然なリズムを思い出させることに役立つからだ。
鼻から呼吸しないということは、ある意味で、半分しか生きていないということになる。驚くことに、ガンディー氏も同じようなことを国民に伝えています (「ガンディー魂の言葉」浅井幹雄 著)
口呼吸は誤った習慣。呼吸は鼻でするものだ。神はわたしたちの鼻に、空気の濾過装置ともいうべきフィルターをつけてくださった。このフィルターを通してわたしたちは空気を濾過して体内に取り込む。口呼吸ではこれができないのだ。東日本大震災が起ったあと、当時仙台に住んでいた私にも奇妙な現象がありました。あのとき、「普通の鼻呼吸」ができなくなったのです。私には花粉アレルギーもなく、体調も、疲れはあったものの良好でした。にも、かかわらず、呼吸を鼻でしようとすると、「目に見えない金属の欠片」が鼻腔を強く刺激し、鼻が、カラダに空気を取り入れることを拒否したようでした。初めての体験でした。そして、それは私だけの体験ではなく、当時、特に女性に多く発症したようでした。
あれは何だったのか、今ではもう分かりません。が、少なくとも、私は、「鼻」でもって、当時の仙台の空気が異常だったことを感知し、それが、九州への移住を決意させたことは事実です。
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2012年8月20日月曜日
最高級の食材を買うことは「高い?」「安い?」
西日本新聞社で「食卓の向こう側」や「価格の向こう側」の取材班だった女性記者が、ある面白い調査をしたのでご紹介。
(参照元:季刊地域 No. 1)
いい食材、すなわち、国産・有機(あるいは無農薬)・無添加の食材は高い!
家計を管理する主婦はまずこう思うのでは?
「いい食材を買うことは、家族の健康を守ることにも、いい食材を作ろうと奮闘する農家さんや職人さんを買い支えることにも、そうして日本の食の自給率を上げることにも、環境を良くすることにもつながるってことは、分かってる、分かってるんだけど、うちではムリムリ!!高い、高い!!」
では、実際のところどれくらい「高くつく」のか?
この調査をしたのが、冒頭でお話しした渡邊美穂さん。
自然食品や生協などで「吟味した」食材・調味料を購入し、買ったものすべて一般のスーパーで同類品の最安値を調べ、これらを比較したそうです。
結果はというと。
ただ、この結果には懸案事項もありました。それは、「台所の経験値が高い人のみ」通用する話だということ。つまり、
渡邊記者はこの記事を以下の文章で締めくくっています。

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(参照元:季刊地域 No. 1)
いい食材、すなわち、国産・有機(あるいは無農薬)・無添加の食材は高い!
家計を管理する主婦はまずこう思うのでは?
「いい食材を買うことは、家族の健康を守ることにも、いい食材を作ろうと奮闘する農家さんや職人さんを買い支えることにも、そうして日本の食の自給率を上げることにも、環境を良くすることにもつながるってことは、分かってる、分かってるんだけど、うちではムリムリ!!高い、高い!!」
では、実際のところどれくらい「高くつく」のか?
この調査をしたのが、冒頭でお話しした渡邊美穂さん。
自然食品や生協などで「吟味した」食材・調味料を購入し、買ったものすべて一般のスーパーで同類品の最安値を調べ、これらを比較したそうです。
結果はというと。
- 食材は1日1人当たり55円だけ吟味したものの方が高かった。つまり、野菜ジュースを1本買うより、新鮮かつ安全かつ安いという結果に!
- 輸入品と国産品食材で、倍近く値段が違うものが多かったが、旬ものだと自然食品店の野菜の方がスーパーのそれよりも安かったものもあった。
- 調味料は、最高級のもの(例:米みそ1kg1,300円!)を購入したとしても、1ヶ月以上使用するものが多いので、結果的には1日1人当たり23円のみの差だった。(ちなみに、購入した調味料は、醤油、だし醤油、粒マスタード、カレー粉、えごま油、料理酒、もろみ、米みそ、豆みそだったそうです)
ただ、この結果には懸案事項もありました。それは、「台所の経験値が高い人のみ」通用する話だということ。つまり、
- ドレッシングを基本調味料から作れない人
- 事前に削る、一晩おく、等の「ひと手間かける」ことを面倒くさいと感じる人
- 食材の保存方法(冷凍・天日干し・みそ漬け等)を知らない人
- そもそも料理することを苦痛に感じる人
渡邊記者はこの記事を以下の文章で締めくくっています。
「つくらない人」が増えれば、まともな食材は「超高級品」になるだろう。こうみると、子ども時代から“台所経験値”を上げていくことが、まともな社会づくりに不可欠ではないかと思う。
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2012年8月16日木曜日
ヤギ捨ての心理
先日、小さな牧場を営んでいらっしゃるおじさんが、こんな話をしてきました。
あまりに臭くて…とか、餌代が思った以上に高くついて…、など、ヤギを飼うこと自体が負担になって捨てるのではなく、単に「飽きた」から捨てにくる…。
そもそも「飽きる」ってどういうココロの動きだろう。気になって調べてみました。
「同じことが重なり、この上それを続けるのがいやになる。もう、沢山だと思う。嫌気がさす」(広辞苑)
ちょっとこれをヤギ飼いに当てはめてみました。
伴侶動物や家畜にとって、人間に飽きられるということは、飼育を放棄されることであり、それは、そのまま「死」を意味します。
「フードインク」というドキュメンタリー映画の中での印象的なコトバが脳裏に浮かびました(記憶の中のコトバなので、若干言い回しとか違っています)。

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「こんな風に動物を飼っていると、『かわいいから子ヤギが欲しい』とか言ってくる人がいるんだよ。で、生まれたらあげるんだけど、ちょっとしたら戻ってくるんだ。
どうしてかって?
飽きちゃうんだってよ。飽きちゃって、うちに捨てにくる。」
あまりに臭くて…とか、餌代が思った以上に高くついて…、など、ヤギを飼うこと自体が負担になって捨てるのではなく、単に「飽きた」から捨てにくる…。
そもそも「飽きる」ってどういうココロの動きだろう。気になって調べてみました。
「同じことが重なり、この上それを続けるのがいやになる。もう、沢山だと思う。嫌気がさす」(広辞苑)
ちょっとこれをヤギ飼いに当てはめてみました。
- これ以上、可愛がり続けるのがイヤになる、一緒に生活し続けるのがイヤになる…
- カワイイからヤギを飼おうと思ったんだけど、そのカワイイと思う気持ちが重なり続けて消えていき、もう沢山だと思って、嫌気がさす…あるいは興味が薄まる
- カワイイと思う対象が「ヤギ」から「別のもの」に変わったため、相対的にヤギへの愛情が薄まっていく
伴侶動物や家畜にとって、人間に飽きられるということは、飼育を放棄されることであり、それは、そのまま「死」を意味します。
「フードインク」というドキュメンタリー映画の中での印象的なコトバが脳裏に浮かびました(記憶の中のコトバなので、若干言い回しとか違っています)。
「家畜を生命あるものと見ず、マシーンやモノ、商品としてしか見ない人間は、他の人間に対しても家畜と同じように接するだろう」
(ポリフェイス農場 J. サラティン氏より)
We provide a habitat that allows each plant and animals to fully express its physiological distinctiveness—i.e. the pigness of the pig. In our Graeco-Roman western linear reductionist compartmentalized fragmented individualistic systematized disconnected paradigm, plants and animals are just inanimate piles of protoplasmic structure to be manipulated however cleverly the human mind can conceive to manipulate them. I suggest that a society which disrespects and dishonors the pigness of the pig to that extent will also view its citizens with an equivalent egocentric manipulative mindset—and other cultures. It’s how we respect and honor the least of these that creates an ethical, moral foundation upon which we honor and respect the greatest of these.
(Polyface農場のWebsiteより引用)
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2012年8月11日土曜日
なぜ、今、ヤギ?
最近、全国各地で密かなブームになりつつあるヤギ。
可愛くて、どこか、でも、なんだか懐かしくって、東京でも、地方都市でも、田舎でも、とにかく、ヤギを見つけると皆ときめいてしまいます。
思わず、ふり返って近づいてしまいます。見てるだけで、なんだか癒されてしまいます。
シブヤギの写真集が売れるのも、すごく分かります。
しかも、可愛い上に、ヤギにはたくさんの可能性を秘めています。
ヤギ乳やその乳製品は勿論のこと、お肉や毛皮も高級で質がよいし、その他、除草もしてくれ、結果、景観の保全や獣害対策にもつながりますし、その可能性はとても現実的で魅力的です。
その上、飼育が他の家畜に比べ、とても扱いやすく、女子1人でも飼うことができます。
でも、実際にヤギを飼う人はとても少なく、ましては、ヤギをビジネスに活用しているところはもっと少ないのが現状です。
とても、ステキな(話)なんだけど、私とは、別の世界(の話)。
大半はそう思って、ハイジの絵本と一緒にヤギとの生活もココロの本棚にしまってしまいます。
そうして、これが私の現実と、スーツを着て、会社へ出勤していくのです。
では、地域で除草作業に困っている人々だったらヤギを飼っているのでしょうか?
ヤギを愛する全国ヤギネットワークの事務局にお聞きしたところ、現実的にヤギを除草作業に使っている農家さんは実はとても少ないとか。
初めはコスト削減になるのではと思って飼ってみた農家さんも、「冬の間の飼料代がバカにならない」とか、「手間隙がかかる分、機械を使って除草する方が結果的にラク」と言ってやめてしまうのだそうです。
酪農は、というと、国が定める殺菌山羊乳の成分基準が厳しすぎたり、ヤギ肉の屠殺場所が少なかったり、そもそも牛に比べて市場も整っていないためビジネス参入が難しいようです。
でも、私は、それでも、今、ヤギなんだと思います。
戦後の急激な石油文化の登場と欧米文化の浸透で、何もかもが「機械化」「単純化」「効率化」し、私たちの生活は飛躍的に「便利」で「ラク」になりました。
そうして、便利でラクな生活になったはずなのに、私たちはますます忙しくなり、時間がなくなっていきました。
便利でラクな生活になったはずなのに、いつも体調がイマイチだったり、将来が不安でたまらなかったり、お金や自分のことばかり考えて夢をもてなくなっていきました。
そこには、ヤギとの生活で得られる「ココロとカラダの癒しや豊かさ」、「ヤギが農地を除草することで得られる生態系の改善」、「健康の改善」よりも、「動物」と「機械」を同一にし、どっちが「便利でラク」か、「儲かるか」を比べて判断しているように思えます。
ヤギを単なるアニマルマシーンとして、すなわち「癒しマシーン」や「除草マシーン」、あるいは「乳・肉生産マシーン」としてみるのではなく、ヤギと関わる環境 (土、草、気象) 全体に配慮し、ヤギを囲む人々の営みに寄り添っていくことで初めて、土、草、家畜、そして人々がつながり、そのときに、さまざまな問題が解決したり、ヤギを含めた全体の生産力が向上していくのでないかと思います。
また、生き物は機械ではないから管理が難しいし、時には私たちをとてもイライラさせます。
けれども、その難しさやイライラを克服したとき、私たちは自然の営みの美しさ、愉しさ、そして豊かさを享受するのではないでしょうか?
ヤギではなく、牛ですが、ガンジーも以下のように提唱していたようです。

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可愛くて、どこか、でも、なんだか懐かしくって、東京でも、地方都市でも、田舎でも、とにかく、ヤギを見つけると皆ときめいてしまいます。
思わず、ふり返って近づいてしまいます。見てるだけで、なんだか癒されてしまいます。
シブヤギの写真集が売れるのも、すごく分かります。
しかも、可愛い上に、ヤギにはたくさんの可能性を秘めています。
ヤギ乳やその乳製品は勿論のこと、お肉や毛皮も高級で質がよいし、その他、除草もしてくれ、結果、景観の保全や獣害対策にもつながりますし、その可能性はとても現実的で魅力的です。
その上、飼育が他の家畜に比べ、とても扱いやすく、女子1人でも飼うことができます。
でも、実際にヤギを飼う人はとても少なく、ましては、ヤギをビジネスに活用しているところはもっと少ないのが現状です。
とても、ステキな(話)なんだけど、私とは、別の世界(の話)。
大半はそう思って、ハイジの絵本と一緒にヤギとの生活もココロの本棚にしまってしまいます。
そうして、これが私の現実と、スーツを着て、会社へ出勤していくのです。
では、地域で除草作業に困っている人々だったらヤギを飼っているのでしょうか?
ヤギを愛する全国ヤギネットワークの事務局にお聞きしたところ、現実的にヤギを除草作業に使っている農家さんは実はとても少ないとか。
初めはコスト削減になるのではと思って飼ってみた農家さんも、「冬の間の飼料代がバカにならない」とか、「手間隙がかかる分、機械を使って除草する方が結果的にラク」と言ってやめてしまうのだそうです。
酪農は、というと、国が定める殺菌山羊乳の成分基準が厳しすぎたり、ヤギ肉の屠殺場所が少なかったり、そもそも牛に比べて市場も整っていないためビジネス参入が難しいようです。
でも、私は、それでも、今、ヤギなんだと思います。
戦後の急激な石油文化の登場と欧米文化の浸透で、何もかもが「機械化」「単純化」「効率化」し、私たちの生活は飛躍的に「便利」で「ラク」になりました。
そうして、便利でラクな生活になったはずなのに、私たちはますます忙しくなり、時間がなくなっていきました。
便利でラクな生活になったはずなのに、いつも体調がイマイチだったり、将来が不安でたまらなかったり、お金や自分のことばかり考えて夢をもてなくなっていきました。
- ヤギとの生活は、確かにステキそうだけど、糞するし、臭いし、病気するし、お金かかるし、それより今の「便利でラクな生活」を続けたい
- ヤギの除草は、確かに「ラク」そうだけど、効率的じゃないし、時間はかかるし、ムラはでるし、それより「便利でラクな」除草機を使った方がいい
- ヤギ乳や肉は健康そうだけど、国も積極的でないし、肉は流通しにくいし、なによりも儲かりそうにない などなど。
そこには、ヤギとの生活で得られる「ココロとカラダの癒しや豊かさ」、「ヤギが農地を除草することで得られる生態系の改善」、「健康の改善」よりも、「動物」と「機械」を同一にし、どっちが「便利でラク」か、「儲かるか」を比べて判断しているように思えます。
ヤギを単なるアニマルマシーンとして、すなわち「癒しマシーン」や「除草マシーン」、あるいは「乳・肉生産マシーン」としてみるのではなく、ヤギと関わる環境 (土、草、気象) 全体に配慮し、ヤギを囲む人々の営みに寄り添っていくことで初めて、土、草、家畜、そして人々がつながり、そのときに、さまざまな問題が解決したり、ヤギを含めた全体の生産力が向上していくのでないかと思います。
また、生き物は機械ではないから管理が難しいし、時には私たちをとてもイライラさせます。
けれども、その難しさやイライラを克服したとき、私たちは自然の営みの美しさ、愉しさ、そして豊かさを享受するのではないでしょうか?
ヤギではなく、牛ですが、ガンジーも以下のように提唱していたようです。
牛はわたしにとって、大自然の万物を代表しているように見える。牛は、人間に、もの言わぬ大自然の心を理解するよう語りかけている。
人間は牛を通して、自分が全ての生き物と同じ生命であることを悟るよううながされているのである。
(「あるヨギの自叙伝」(著:パラマハンサ・ヨガナンダ)から引用 )
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2012年8月4日土曜日
「やまい」と「幸せ」の関連性
『毎日つつがなく暮らすことができ、大変幸せです』
手紙にすら使ったことがないこの「つつがない」というコトバ。
語源を広辞苑で調べてみたところ、「やまいがない」「無事である」という意味で、古くは今昔物語にも使われているようです。
病がないことが幸せ。何事もなく、無事であることが幸せ。
昔の人は、生活のすぐ隣に潜む「やまい」に恐れ、病のない人生をココロから祈り、この「つつがない」というコトバを紡いでいったと思います。
なぜなら、昔の「やまい」はそのまま死に直結することが多かったから。
そして、今。
医療の発展は一見「やまい」を克服したように見えました。
近代医療は人々に幸せをもたらしたようにみえました。
病院に行きさえすれば、高度で先進的な医療さえ受けられれば、そうして、万が一のための医療保険をかけてさえいれば、幸せだと感じるようになりました。
しかし、この「幸せ感」をよくのぞいてみると、私たち現代人は、人生そのものに病気がある、ということを大前提としての「幸福」しかありえないというマインドセットから始まっています。
本当にそうでしょうか?
私たちのカラダには自然に病気を癒す「自発的治癒システム」が備わっているはずです。
そうでなければ、医療が発達する前に人類はとっくの昔に滅んでいるはずだからです。
「癒す心、治る力」の著書であり、アリゾナ大学医学校で教鞭をとっているアンドルー・ワイル医学博士は、彼の本の中で、こう断言しています。

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手紙にすら使ったことがないこの「つつがない」というコトバ。
語源を広辞苑で調べてみたところ、「やまいがない」「無事である」という意味で、古くは今昔物語にも使われているようです。
病がないことが幸せ。何事もなく、無事であることが幸せ。
昔の人は、生活のすぐ隣に潜む「やまい」に恐れ、病のない人生をココロから祈り、この「つつがない」というコトバを紡いでいったと思います。
なぜなら、昔の「やまい」はそのまま死に直結することが多かったから。
そして、今。
医療の発展は一見「やまい」を克服したように見えました。
近代医療は人々に幸せをもたらしたようにみえました。
病院に行きさえすれば、高度で先進的な医療さえ受けられれば、そうして、万が一のための医療保険をかけてさえいれば、幸せだと感じるようになりました。
しかし、この「幸せ感」をよくのぞいてみると、私たち現代人は、人生そのものに病気がある、ということを大前提としての「幸福」しかありえないというマインドセットから始まっています。
本当にそうでしょうか?
私たちのカラダには自然に病気を癒す「自発的治癒システム」が備わっているはずです。
そうでなければ、医療が発達する前に人類はとっくの昔に滅んでいるはずだからです。
「癒す心、治る力」の著書であり、アリゾナ大学医学校で教鞭をとっているアンドルー・ワイル医学博士は、彼の本の中で、こう断言しています。
治癒は自発的である。それはDNAの内なる本然の力によって生じる、自然の傾向である。
(紫外線による誤結合でできる二重らせんのよじれのような)損傷の発生自体が、自動的に自己修復プロセスを活性化させる。
(「癒す心、治る力」から引用)
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2012年7月29日日曜日
減塩への疑問
「塩分のとりすぎに注意しましょう」
カラダの調子を整えるため、まずは食生活を改善しようと決意したとき、必ずといっていいほどぶつかるコトバだと思います。
学校、病院、政府指導の栄養改善運動、などなどに加え、食品会社も「塩分控えめ」を強くうたった商品をずらりとスーパーに並べます。
「カラダのためにはしょうがない、減塩生活頑張りましょう……」とみそ汁をやめ、漬け物をあきらめ、塩気のないものを食べていきます。
その一方。
「今年の酷暑、熱中症対策は万全ですか?しっかり『塩分』を補給し、この夏を乗り切りましょう」
と、今度は汗で失った塩分を補給することをすすめてきます。
特に子供たちは大量の汗をかくので、子供を気遣うママたちは、テレビのすすめるがままに塩分と糖分がセットの清涼飲料水を持たせることになります。
お菓子のような甘い液体に、子供たちは大喜び。当然、虫歯の危険性など顧みもせず、ゴクゴクと。しまいには、“甘い飲料”に病み付きになってしまいます。
結果、どうなるか。
現在、先進国を中心に、子供の1型糖尿病が世界中で急激に増加しているそうです。
これにはさまざまな要因があげられるかと思いますが、私はカラダにとって必要不可欠な塩分を食事そのものから摂取するのではなく、ジャンクフードや清涼飲料水から摂取する機会が急激に増えたことも大きな要因のひとつなのではないかと思っています。
塩分の過剰なとりすぎは、もちろんカラダに悪いと思います。
ただ、食事から塩分を過剰に排除しようとする今の「常識」にも疑問を抱きます。
カラダは生命活動の必要な成分を自動的に排出したり取り入れたりする機能をもっているので、余分な塩分は「自動的」に汗や涙として排出されますし、足りない塩分は「自動的」にカラダに取り込もうとします。つまり、減塩を意識しすぎた食生活を続けていると、「しょっぱくて甘ったるい」清涼飲料水やポテチを喜んで飲み喰いしてしまうココロをもってしまうと思うのです。
私の大尊敬する佐藤初女さんが、本の中でこうささやいています。

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カラダの調子を整えるため、まずは食生活を改善しようと決意したとき、必ずといっていいほどぶつかるコトバだと思います。
学校、病院、政府指導の栄養改善運動、などなどに加え、食品会社も「塩分控えめ」を強くうたった商品をずらりとスーパーに並べます。
- 「みそ汁は塩分多いので、一日一杯以上は飲まないこと」
- 「梅干しは塩分をできるだけ控えたものを作ること、選ぶこと」
- 「漬け物は塩分が高いので、できるだけ控えること」
- 「減塩目標は一日6gまで頑張りましょう」
「カラダのためにはしょうがない、減塩生活頑張りましょう……」とみそ汁をやめ、漬け物をあきらめ、塩気のないものを食べていきます。
その一方。
「今年の酷暑、熱中症対策は万全ですか?しっかり『塩分』を補給し、この夏を乗り切りましょう」
と、今度は汗で失った塩分を補給することをすすめてきます。
特に子供たちは大量の汗をかくので、子供を気遣うママたちは、テレビのすすめるがままに塩分と糖分がセットの清涼飲料水を持たせることになります。
お菓子のような甘い液体に、子供たちは大喜び。当然、虫歯の危険性など顧みもせず、ゴクゴクと。しまいには、“甘い飲料”に病み付きになってしまいます。
結果、どうなるか。
現在、先進国を中心に、子供の1型糖尿病が世界中で急激に増加しているそうです。
これにはさまざまな要因があげられるかと思いますが、私はカラダにとって必要不可欠な塩分を食事そのものから摂取するのではなく、ジャンクフードや清涼飲料水から摂取する機会が急激に増えたことも大きな要因のひとつなのではないかと思っています。
塩分の過剰なとりすぎは、もちろんカラダに悪いと思います。
ただ、食事から塩分を過剰に排除しようとする今の「常識」にも疑問を抱きます。
カラダは生命活動の必要な成分を自動的に排出したり取り入れたりする機能をもっているので、余分な塩分は「自動的」に汗や涙として排出されますし、足りない塩分は「自動的」にカラダに取り込もうとします。つまり、減塩を意識しすぎた食生活を続けていると、「しょっぱくて甘ったるい」清涼飲料水やポテチを喜んで飲み喰いしてしまうココロをもってしまうと思うのです。
私の大尊敬する佐藤初女さんが、本の中でこうささやいています。
減塩、減塩と叫ばれ、塩を悪いものとして、わたしたちは味のないようなものを食べてきましたが、体をつくるのは塩分です。(中略) 悪いのは薬品の塩であり、ほんとうの海の塩なら必要なのではないでしょうか。
(中略)
塩分のとりすぎがよくないのはいうまでもありませんが、おいしいと感じる塩分、わたしは“適塩”と呼んでいますが、これはとった方が元気になります。ですから、わたしは漬け物でも、みそでも、さんまの塩焼きでも、塩をしっかりと使います。
(中略)
野菜を無駄なくきれいに食べられるのも塩のおかげ。ぜひやってみて、塩の力を実感してください。(「初女さんのお料理」から一部引用)
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2012年7月23日月曜日
エコよりもニコッ
「がんこ本舗」という会社の合言葉だそうです。
名言です!!
額にしわ寄せてエコ活動する人よりも、ニコニコしながら愉しくシンプルに暮らす方が、実は「もっとエコ」だったりしますしね。
例えば、洗濯洗剤をえらぶとき。
天然の洗濯用石けん(無添加・無香料)とかじゃないと、川や海を汚してしまうのでは…と思っている方って結構多いのではないでしょうか?
しかも、ごしごし力を入れないとあんまり汚れも落ちないような、洗った後の肌触りとかさわやかさも、あんまり感じられないような…でも、「エコ」のために はしょうがないと思って頑張ってしてしまう、とか。あるいは、そんなことできないって、開き直って、スーパーの「アタッ◯」を安さのあまりに買ってしま う…とか。
実は、「とびきりの合成洗剤」を開発したおじさんがいます。
その方が立ち上げた会社が、冒頭で紹介した「がんこ本舗」
合成洗剤と聞いて、「それはエコではないのでは?」と思う方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、実は、限りなく環境負荷をおさえるよう職人技で考え抜かれた『合成洗剤』を少量使う方が、『天然の石けん』を大量に使うよりもはるかに「エコ」だったりするのです。
しかも、防腐剤の代わりにラベンダーのエッセンシャルオイルにしているので、洗濯するときにとても気持ちがいいですし、洗濯機でもじゃんじゃん洗えるので、「頑張る」必要がありません。
お値段は、500mlで2,500円。
ちょっと、高いかも。。。
でも、これで100回以上洗えるので、実質的には市販の洗剤を購入するのと大して変わりがないかもしれません。
気持ちよく使えて、しかも、環境にも、お財布にも優しいので、ルクニシンガメンバーは、これを1年以上使い続けています♪
ちなみに、この「とびきりの合成洗剤」を開発したおじさん、大好きな食べ物は「魚」、そして、クライマーとしてヒマラヤにも2回登頂された方だそうです☆
そして、何よりも同調したのは、「美」を意識してモノづくりを進めているところです。
哲学でも、宗教でも、はたまた、地球温暖化のためではなく、「美学」でもってメッセージを伝えているところに、ルクニシンガはメロメロです。
名言です!!
額にしわ寄せてエコ活動する人よりも、ニコニコしながら愉しくシンプルに暮らす方が、実は「もっとエコ」だったりしますしね。
例えば、洗濯洗剤をえらぶとき。
天然の洗濯用石けん(無添加・無香料)とかじゃないと、川や海を汚してしまうのでは…と思っている方って結構多いのではないでしょうか?
しかも、ごしごし力を入れないとあんまり汚れも落ちないような、洗った後の肌触りとかさわやかさも、あんまり感じられないような…でも、「エコ」のために はしょうがないと思って頑張ってしてしまう、とか。あるいは、そんなことできないって、開き直って、スーパーの「アタッ◯」を安さのあまりに買ってしま う…とか。
実は、「とびきりの合成洗剤」を開発したおじさんがいます。
その方が立ち上げた会社が、冒頭で紹介した「がんこ本舗」
合成洗剤と聞いて、「それはエコではないのでは?」と思う方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、実は、限りなく環境負荷をおさえるよう職人技で考え抜かれた『合成洗剤』を少量使う方が、『天然の石けん』を大量に使うよりもはるかに「エコ」だったりするのです。
しかも、防腐剤の代わりにラベンダーのエッセンシャルオイルにしているので、洗濯するときにとても気持ちがいいですし、洗濯機でもじゃんじゃん洗えるので、「頑張る」必要がありません。
お値段は、500mlで2,500円。
ちょっと、高いかも。。。
でも、これで100回以上洗えるので、実質的には市販の洗剤を購入するのと大して変わりがないかもしれません。
気持ちよく使えて、しかも、環境にも、お財布にも優しいので、ルクニシンガメンバーは、これを1年以上使い続けています♪
ちなみに、この「とびきりの合成洗剤」を開発したおじさん、大好きな食べ物は「魚」、そして、クライマーとしてヒマラヤにも2回登頂された方だそうです☆
そして、何よりも同調したのは、「美」を意識してモノづくりを進めているところです。
哲学でも、宗教でも、はたまた、地球温暖化のためではなく、「美学」でもってメッセージを伝えているところに、ルクニシンガはメロメロです。
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